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東京地方裁判所 平成9年(合わ)105号 判決 1997年8月14日

主文

被告人を懲役五年六か月に処する。

未決勾留日数中七〇日を右刑に算入する。

理由

【犯行に至る経緯】

1  被告人は、被害者Aの次女であるところ、昭和五五年に夫Bと結婚して以降、三子をもうけ、当初は父母と別居していたが、平成七年四月ころから、父A及び母C子と同居生活を始めた。Aは、昭和五二年ころから事故により視力を失い、身の回りの世話は被告人の実母C子が行っていたところ、同居を始めて後の平成七年九月ころ、C子が死去し、以後、被告人が全て世話を見るようになった。

Aは、妻C子の死後、次第に被告人と意思の疎通を欠くようになり、被告人が同人の財産等を奪おうとしているのではないかなどと疑ってか、Aのために衣替えの準備をしようとタンスを開けた被告人を怒鳴ったり、更に被告人らに対する猜疑心を強め、自己の預金通帳や印鑑を引き渡すよう求めるなど、トラブルが生じるようになり、平成九年一月には、被告人らに自宅の権利証等を渡すよう要求した。被告人らは感情を著しく害したものの、被害者との距離を置いて接したこともあって、それ以降しばらくは、かようなトラブルは影を潜めていた。

この間に、被告人は、Aとの円満な同居家庭生活を望んでいるにもかかわらず、Aが被告人に口や心を閉ざし、被告人らに猜疑の目を向け、一方夫からは、Aに関する問題について、家庭内に持ち込まないよう求められるなどしたため、Aと自己の家族との間に立って悩み、Aへの不満も募らせていた。

2  本件の前日である平成九年三月二五日午後一〇時ころ、Aは、被告人ら家族が食事をしていた台所に現れ、被告人の夫に対し、「Bさん、明日から電話が止まるから。」と一方的に告げた。被告人らは、Aがまたおかしなことを言い出したと思って、気まずくなった。被告人は、夫が口も聞かずに自室に引き上げた後、電話が止まるという事情やAの真意を聞くため、翌二六日午前零時三〇分過ぎころ、Aの寝室に行った。Aは、「ちくしょう、馬鹿野郎。馬鹿にしやがって。」等と独り言を言っており、被告人は電話が止まるという事情について問いただし、それまで共同で使用していた電話を解約する手続きを取ったこと、Aは自己専用の電話を取り付ける意図であることを知った。

3  被告人は、同日午前五時ころ目が覚めたので、起きて被告人方一階の台所でたばこを吸うなどしていたが、Aに、被告人らに電話を使わせたくない理由を聞き、工事を延期してもらうよう頼むため、Aの寝室へ行ったところ、Aは、目を覚ましており、「ちくしょう、馬鹿野郎、(電話加入の)債権があるならとっととつけりゃいいじゃねえか、電話代までたかりやがって。」等と独り言を繰り返していた。

被告人は、Aが夜通し独り言を言っていたのかと思い、また、右独り言が被告人の家族に向けられたものであると思い、愕然とするとともに、怒りがこみ上げてきた。

【犯罪事実】

被告人は、平成九年三月二六日午前五時三〇分ころ、東京都中野区《番地略》所在の実父A(当時七三歳)方の寝室において、同人の前記の被告人を誹謗する独り言を聞き、独り言をやめさせようとして、その口を右手で塞ぐなどするうち、同人に対する憤りと憎悪のあまり殺意を抱き、同人に馬乗りになり、その鼻を左手でつかみ、頚部を右手で体重をかけて強く押さえつけるなどし、よって、そのころ、同所において、同人を頚部圧迫による窒息により死亡させて殺害した。

【証拠】《略》

【弁護人の主張に対する判断】

弁護人は、本件当時、被告人は精神的・肉体的疲労に基づく心神耗弱の状態にあったものであるから、刑を減軽すべきであると主張する。

平成七年九月に被告人の母が死亡した後、被害者の世話は被告人が一手に引き受けていたものであり、前述のとおりの被害者の被告人らに対する理不尽な態度や、夫などが被害者を疎んじるようになったことから、被害者と家族との間に板挟みの状態にあったと言え、本件当時被告人に精神的な疲労があったことはうかがわれる。

しかし、被告人には何ら精神的な疾患はない上、被告人は、本件犯行に至る経緯、動機について、一貫して詳細な供述をしており、殺意を抱くに至る経緯や動機内容に不合理はなく、犯行について一部不可解な行動や一時的な記憶の欠落を述べるが、犯行前後の行動に全く異常は見られないのであって、本件直前及び本件当時、被告人は、是非を弁別し、それに従って行動する能力が著しく減弱していたものとは認められないことは明らかである。

したがって、弁護人の心神耗弱の主張は理由がない。

【量刑の理由】

一  本件は、被告人が、母の死後、同居する全盲の実父の世話と介護をしていたが、同人が被告人に心を閉ざし、かえって被告人らに猜疑の目を向けるなどの態度に悩み、不満も抱いていたところ、判示のとおり、共用電話の解約を巡り、同人の被告人に対する誹謗ないし罵倒の独り言を聞いて、日頃の憤懣もあって激情に駆られ、殺意を抱いて扼殺したという、老父に対する殺人の事案である。

二  ところで、被告人が被害者に殺意を抱く経緯は、【犯行に至る経緯】で述べているとおりであるが、被害者への鬱憤が蓄積される経緯はともあれ、結局のところ、被害者に対する怒りと憎しみとから、感情の抑制を失った激情的犯行ととらえられる。被告人に、被告人の家庭に波紋を投げる被害者から、自分の家庭を守ろうとする意図があったにしても、被害者の生命を奪うこととの権衡を大きく欠き、自己の行為を正当化する理由とはなりえるものではなく、かえって発覚すれば被告人が守ろうとした家族、特にこれから重要な時期に差し掛かる愛する子供たちにいかなる悪影響が及ぶやも知れず、やはり短慮、短絡的の非難は免れない。

また、犯行態様を見ても、被告人が犯行時の心情として率直に述べているように、「憎しみと敵意に満ちた醜い動物」に見えたという被害者に、女性とはいえ、剣道で鍛え、体格的にも勝る被告人が馬乗りになり、甲状軟骨の骨折を引き起こすほどの力で締め上げて、入れ歯が飛び出すなど被害者の苦悶も意に介さず、有無も言わせないまま一気に窒息死に至らせているのであって、非情な殺害方法と言わなければならない。

被害者は二〇年ほど前に脳挫創の傷害を負って視力を失ったとはいえ、まだ七三歳で健康に大きな問題はなく、余生も少なからず残されていたというべきであり、現に身体障害者の会などでは陽気な人気者として周囲に親しまれて人生を楽しんでおり、にもかかわらず実の娘の手により、苦悶の中で余生を奪われたもので、その悔しさ、無念は察するに余りある。被害者が、被告人に口や心を閉ざして壁を作り、財産狙いなどの猜疑を表したり、不信を示したりしたことがあったにせよ、今や被害者に弁解の口はなく、また、老人性の痴呆の影響も見られるのであって、被害者の落ち度とも決めつけられない。

被告人は、現在でこそ反省が見られるが、犯行後、被害者の死に顔、衣服を整えた上、当日朝は平常どおり、夫子を送り出して自らは会社に出社し、その後子供から被害者の死の知らせを聞いて家に戻った際も、遺体に涙し、取り乱して一一九番に電話するなどしており、自己が被害者の死亡に無関係であるかの如く振る舞っていたのであって、被害者の死因が疑われて事情の聴取をされた際も、当初自己の関与を否定するなど、犯行後の行動に、自己の行為の発覚を免れるための作為性が疑われ、この点も情状として芳しくない。このいきさつについて、被告人は、当日朝、犯行が終わった午前五時四五分ころ、台所の時計を見たとき、またいつもの一日が始まると思うや、父への行為があたかも「レコードの針が飛ぶように」、その部分だけが意識の底から消え去り、そのため、自己の関与を隠す意図はなかったけれども、平常どおりの、また死を悲しむ遺族としての行動をとった旨を説明する。しかしながら、極度の興奮、緊張という心理状態を経験し、忌まわしい記憶を忘れようとの強い心理的な抑制が働いたとしても、被告人は、遺体となった被害者の部屋に朝食を届けたり、紛議の原因となった電話工事の中止を申し入れたり、連絡を受けて現に遺体に直面しているのに、被害者の死やその死因について、なお想念にも上らず、その部分だけが意識から抜け落ちたままであったとは、やはり考え難いのである。被告人は、失念の証左として、被害者の血を拭いた手拭いと、使おうとして失敗したラップは被害者の部屋のくず入れに捨て、そのまま放置しておき、なんら隠そうとしなかったことなどを挙げるが、被害者の部屋のくず入れには、検証時にも別のゴミが入れられたままになっており、被告人の説明と整合しない。

三  一方、被告人は、夫と三人の子供との円満な家庭を築き、共働きの主婦として家計を助け、母として子供の養育につとめ、また元高校総体で活躍した剣道選手としてその後も練習に励むなど、ごく健全な社会生活を送ってきたものである。経済的に相互にメリットがあったことから、二年前に父母の所帯と同居するようになり、平成七年九月に母が死亡して後は、視力のない被害者の身の回りの世話と介護に当たってきた。

被害者と被告人の関係は、以前より、被告人の弟に対するとの比較において、被告人は被害者から必ずしも十分な親子の情を受け止めていなかったようであるが、母の生存中は平穏に推移していた。しかし、母の死後、被害者は老人性痴呆を呈してか、被告人に対し、被害者の財産を狙っているのではないかとの猜疑の目を向け、被告人がその真意をただそうにも口を閉ざして取り合わず、しばしば感情的なトラブルが起きるようになり、被害者の猜疑が高じて、被告人らには嫌がらせとも受け取れるような、家の権利証を返せと言い出すに及んで、夫をも不興にして巻き込み、被告人の家庭と被害者との間に亀裂が生じ、勢い被告人の家庭も被害者の存在を疎んずるようになった。被害者は周囲には快活な好人物として受け入れられ、一方周囲に被告人に対する中傷を述べていたようである(このことは被害者が自分の血縁者の前で吹き込んだテープにおいて、支離滅裂な脈絡で口汚く被告人らを誹謗していることからもうかがわれる。)。被告人は、被害者が老人福祉施設へ入ることも検討したが、経済面、入所条件面に隘路があって実現せず、目の不自由な父を一人置いて別居することにも踏み切れなかった。このような状況にあって、被告人は被害者の行動が痴呆によるものか、悪意に基くものか計り切れぬまま、被害者と距離を置きつつも、被告人なりの誠意や努力に理解を示そうとしない被害者に不満を抱き、夫の不興や家庭の拒否的反応との板挟みになり、周囲の目も圧力となって、円満な関係への出口を見い出せないまま心理的な葛藤を募らせていた。被告人が、本件犯行において、被害者に対して鬱憤を蓄積してきたことは、被告人の立場として理解でき、背景事情には同情の余地もある。

本件の直接の契機は、被害者が共用していた電話を一方的に解約すると通告してきたことにあるが、被告人には、これも猜疑、ないしは嫌がらせの延長と受け止められたし、被告人らの家庭生活にも直接影響することで、いたく夫の不興も買った。その後の経緯は、被告人の供述するところによらざるをえないが、一旦零時過ぎに被害者の寝室を訪れた後、なぜ未明に再び寝室に入ったのか、寝室に行った目的、時刻などに、十分明確でないところもあるものの、いずれにしても、右の通告が引き金になり、被告人を誹謗する独り言も聞いて、冷静な判断力を失い、衝動的に犯行に及んでいるのであって、計画的な犯行ではない。

被告人は、公判廷において、自己の非を認めて、事の重大さを認識して反省を述べ、父の後ろ姿を思い浮かべるなどと言って涙に声を詰まらせている。逮捕後、家族に宛てた手紙に「害虫を退治した」との激した表現があるようだが、犯行後、日の浅い興奮状態で家族に正当性を説明したものと思われ、犯行時の率直な気持ちではあったかもしれないが、冷静になった現在の心境は変化を見せていると思われる。被告人の弟、すなわち被害者の長男は、被告人に対する同情と宥恕を述べているし、被告人の夫も、被告人を追い詰めたのは自己の責任でもあるとする悔恨と、子供の養育のためにも被告人の減刑を述べており、七〇〇〇通を超える嘆願書も集められている。

以上のように、被告人にとって斟酌できる事情も少なからず存する。

四  しかしながら、本件において、被告人が、直接被害者の世話や介護に当たるようになってから、約一年半であり、しばしば発生していたトラブルは、被告人らに精神的な不興、不愉快、苦痛を与えるものの、介護に多大な労力を要したり、暴力を伴ったり、近隣に迷惑を及ぼすものではなく、また本年一月以降は、被害者との関係も、被害者との距離を置くことによって小康を保っていたのであって、被害者を介護するための負担が極端に大きいものであったとは言い難く、寝たきり老人の介護に疲れ切ったとか、家庭内暴力に対処しきれなくなって、自己や被害者の将来を案じた事案ともまた現象面を異にする。今回の電話解約の件や、これまでの紛議の原因が、たとえ被害者の悪意を伴うものであったとしても、被告人らがなお甘受し得ない問題でもなかったと思われる。また、被告人らが、被害者の介護に、経済的、精神的に極限的に追い詰められていたとも伺えず、なお、円滑な共同生活に向けてのいろいろな解決の途が模索されてしかるべきであったし、経済的負担を甘受しての別居の選択肢もなお検討の余地があったと思われ、感情的な対立の背景事情を過大に評価することはできない。

社会の高齢化が進み、介護を要する老人を抱えた家庭が増加する今日、本件の社会に及ぼす影響も軽視できない。被告人の行為を容認すれば、家庭の平穏を求める余り、障害ある老人を安易に排除する風潮が助長されることも懸念され、やはり、相応の刑はやむを得ないところである。

五  以上の事情を総合考慮し、主文のとおり量刑した。

(検察官平山竜徹、私選弁護人内野繁各公判出席、求刑懲役八年)

(裁判長裁判官 大谷剛彦 裁判官 高木順子 裁判官 江見健一)

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